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2020.06.04

【活動報告】第6回学術フロンティア講義 2020年5月22日(金)

2020年5月22日(金)、第6回学術フロンティア講義が行われた。講師として世界史、比較歴史学を専門とする羽田正氏を迎え、「30年後を生きる人たちのための歴史」をテーマにした講義が展開された。

羽田氏はこれまで、「世界史」とは異なる視点で歴史を捉え直す「グローバル・ヒストリー」の枠組を提唱してきた。今回の講義では、昨今のコロナ・ウイルス感染拡大を切り口に、パンデミックがグローバル・ヒストリーに対して何を提起するのか、についてお話をしていただいた。

まず、これまでの歴史上のパンデミック、例えば黒死病、スペイン風邪とコロナ・ウイルスとを比較すると、コロナ・ウイルスの場合、感染者数・死者数はこれまでのパンデミックの中では目立って少ない。その要因として、現代における医学・疫学の進歩、衛生知識の普及、社会の衛生状態の向上などが挙げられる。特に今回のコロナ・ウイルスの場合、ロックダウンという強力な行政措置が取られたことも感染拡大の防止に繋がった。こうした措置が可能となった背景には、国・地方・街・家庭といった小刻みの単位でイニシアティブをとることができたことが大きい。

現代のグローバル世界においては、疫病、紛争、気候変動、経済危機は国境を超えて伝播する。しかしながら、今回のコロナ・ウイルスからも見て取れるように国境を超えた世界レベルでの協力、すなわちグローバルな協働は目に見えて少ない。その原因として、羽田氏は、各国のリーダーや影響力のある人々の間においてグローバル社会の相互依存関係が軽視されていることを指摘した。その上で、学術によって「地球」への帰属意識を喚起できないのか、と問いかける。

そこで、羽田氏は自身の専門である歴史学の「世界」という視点の問い直しを提起する。例えば、約30年前である1989年と現在2020年の状況を比較してみると、簡単に遠方の人々と会話できるほど科学技術は進歩を遂げるなど、世界情勢も環境も大きく変化してきている。一方で、この約30年間において、過去の見方・理解、すなわち歴史学は変化していない。どの国も一様に「歴史」を一つの主権的国民国家の今昔、といういわゆる「一国史」中心として解釈してきた。どの国家もその「起源」や定義は曖昧なものでありながら、人々は史実の提示に重点を置きつつ、諸外国との関係から一国の歴史をとらえてきた。また、この一国史を複数束ねたものが「世界史」とされてきた。そしてこの現状の「世界史」は、地域的にヨーロッパが優位にあるヨーロッパ中心史観である。

したがって、世界史とは、「20世紀半ば以降のヨーロッパを中心とする、主権国民国家体制に即した一国史を複数束ねたもの」だと言える。こうした、自国と他国、ないしはヨーロッパの内部/外部の峻別を基本とした歴史解釈は、人々に日本をはじめ、自国に強い帰属意識を持たせ、同時に、西洋に対する強いコンプレックスを持たせている。

こうした一国史・ヨーロッパ中心の世界史の視点は、グローバル社会における協働の促進は不可能である。羽田氏は、現在において求められているのはむしろ、「『地球の住民』のための歴史を構想すること」である、とする。言い換えれば、世界がどのように形成され、自らの立ち位置はどこにあるのか、いかに世界と調和するのか、そうしたことを前提とした歴史が問われているのである。

そこで羽田氏が提示するのが、主権国家によって区分した歴史観から脱却した新しい歴史のあり方、すなわち縦軸のみではなく、横軸からも地球全体を見る「グローバル・ヒストリー」である(羽田正『新しい世界史へ―地球市民のための構想』岩波新書、2011年。英語版はToward Creation of a New World History, 出版文化産業振興財団、2018年)。グローバル・ヒストリーの視点は、世界という枠組から歴史を見直し、日本という帰属意識を持ちつつ、地球に帰属した意識を持つリーダーをつくることを目的とする。

グローバル・ヒストリーの構築を実現するため、現在羽田氏は精力的に国際共同研究を行なっている。活動を通して、羽田氏は次の三点に気がついたという。第一に、英語を中心化しない言語間交流の必要性である。なぜなら、世界には統一された「知」があるのではなく、言語によって複数の知の体系が存在するためである。第二に、歴史は、どこの、どの時代に立ち、誰のために歴史を書くのかで変化する。つまり、研究者の立ち位置(positionality)によって歴史解釈は変化する、ゆえに歴史解釈に唯一の答えはない、という点である。最後に、歴史について語るときは徹底討論が必要だということである。言語によって異なる知を持ち、その人自身が持つ立ち位置がある。それゆえに歴史を語るには、相手のバックグラウンドを理解した上で解釈しなければならない。

だからこそ、国際協働には困難がつきまとう。だがそれは歴史それ自体が豊饒なものであることの証明である。20世紀半ば以降の主権国家により分類された歴史ではなく、30年後を思考し、自国の歴史だけではなく、地球の住民のための歴史という考え方を他国や他の集団と共有する、「歴史」の構築が必要である、というまとめによって講義は締め括られた。

報告者:リサーチ・アシスタント 二井彬緒

 

リアクション・ペーパーからの抜粋

・地球への帰属意識を育てるという考えは今まで講演してくださった先生の意見とも重なるものでしたが、紐帯として学術を用いるという点は斬新でした。(文科一類~三類)

・グローバルヒストリーの枠組みは、過度な自国中心主義からの脱却のみでなく、より豊かな国や影響力の強い国ばかりに注目しがちな歴史観に変化をもたらしうるのではないか、という希望を持ちました。一方、この枠組みの中で、すべての国を平等に扱ったり、あらゆる外国語でその国の歴史を学ぶことには限界があるし、こうしたモーラ的に知識を得ようという姿勢は、グローバルヒストリーが求めているものとは少し異なる気もしています。自国への帰属意識と地球への帰属意識、個別の歴史観と地球規模の歴史観をどう統合していくことが可能なのか、これからさらに考えてみたいと思いました。そのために、私自身も外国語でその国の歴史を学ぶ経験をすると同時に、他国での歴史教育が、国のリーダーや民の歴史観、世界の見方にどのような影響を与えてきたのかについて、少しずつ理解を深めていきます。(文科一類~三類)

・先生がおっしゃったような地球への帰属意識の希薄さはこのコロナの状況下で改めて感じるところで、WHOの影響力やそれに対する人々の考え方に疑問がありました。この希薄さの原因を歴史に求めることは私にとって新鮮でしたが腑に落ちるものがありました。地域や言語圏によって、また人々がどのような時代を生きているかによっても歴史の解釈が変わってくることも今後歴史を学んでいく上で心に留めておくべきことだと思いました。日本独自の解釈があってもいいとは思いますが、その解釈が”独自の解釈”であると自覚されるような伝え方が必要になりそうだとも思いました。(文科一類~三類)