特別セミナーの二日目は「30年後の未来」をテーマとしたグループワークとプレゼンテーションが行われた。学部生を三つのグループに分け、そこに研究員やRAが加わる形である。プレゼンテーションは各グループ学部生によって行われた。
グループA(学部生2人、研究員・RA4人)ではまず各自の関心を共有した上で、コミュニケーションに焦点を当てることとした。30年前の世界と現在の世界を比べた時、交通網やSNSの発展によって広範囲での人的交流が可能となっていることは、広く共有されている事実である。しかしその反面、同じ関心や主義主張を共有する閉じたグループが乱立している状態も拡大している。ここでは柄谷行人が言ったような、「命がけの飛躍」を必要とする「他者」、すなわち自身の主張を無媒介に同意・肯定することのない「他者」の存在は捨象されてしまっている。SNSを中心としたコミュニケーション技術の発展の功罪を受け止めた上で、今後どのような形でのコミュニケーションを考えていくか。そしてどのような形で自分自身がそれに関与していくかが議論された。(EAARA建部)
グループB(学部生3人、研究員・RA2人)では技術の発展について議論した。人工知能をはじめとするコンピュータ・サイエンスの革新、気候問題などの自然環境の変化が話題となり、それらの問題を抜本的に解決するため、改めて人間に自身に対する見方を変える必要があるという意見が出た。大規模製造業などでは人間の仕事が機械に切り替えられることや、いわゆる「デジタル全体主義」による人権弾圧などの事実を受け、人の価値は一体何かという問題は技術から離れて、倫理学や哲学の面で考えなければいけない。発表者の三人は議論の内容を踏まえて、さらに二つの問題を共有した。1)人間は何もせずに生きられるか。大半の機械的な労働がロボットに取って代わられる時代になると、人間は皆「ひま」になる。そこで個々人にとって自分の生きがいとは何か、どのように実現できるか。2)グループAに呼応し、柄谷行人のコミュニケーション論をどう理解するか。SNSの発達は既存の情報発信と受容の枠組みを変えるに寄与されていたが、事実上、自分と違う意見を無視するという言論のクロージャー(閉止域)がネットでさらに強化された。その局面を打開するには、真の「他者」の確立がいっそう重要になる。それは未来の人文学の目指すべきところだと指摘した。(EAARA胡藤)
グループC(学部生3人、研究員・RA2人)では、まずKJ法に従って、それぞれテーマの「Looking Ahead Thirty Years: The Liberal Arts in the World」について思い付いたことをキーワードで書き出し、それらをいくつかのグループに分けた。絞られたトピックは、テクノクラシー(technocracy)や社会運動、コミュニケーション言語など多岐にわたる。とりわけ昨年世界各地に活発に行われたデモ活動や、現在流行中のコロナウイルスおよび各国の対応について、ソーシャルメディアと民主の発展の関連性を深く議論を交わした。発表の際は、次のようなことが語られた。三十年後に教えと学びのスタイルが変化するとともに、情報・知識の生産や管理は専門家に頼る状況になり、これによってあらたに不公平が生じる。しかしソーシャルメディア等を積極的に利用することで、現在と比べてより水平的なコミュニケーションと、広範囲にわたる社会運動とを実現することができ、民主主義を守ることが可能となる。発表後はコメントや質問に返す形で情報と知識との区別、民主の解釈と内実等について議論が交わされた。(EAARA王雯璐)
未来とはただ単にやってくるものではなく、今の若い世代の手によって作られる。30年後の未来をこれから担っていく主体として考えを巡らす二時間となった。