会議四日目。午前は引き続き各大学の研究者による発表が展開され、午後は大学院生による発表がなされた。最初の発表者は東京大学の八幡氏である。氏はシェリングの他、日本で活発に開催されているアートフェスティバルについて研究しており、今回の発表は2019年に大きな社会的関心を集めた「愛知トリエンナーレ」の開催中止をめぐる問題を扱った。アートは政治から独立したものであるが、それがアイデンティティなどの問題と結びつくと、政治とも無関係ではいられず、その関係が極めて複雑なものとなってしまう。この問題は続くPeter Alwast氏(ANU)の発表にも関係しており、氏はジャン=リュック・ナンシーの理論を用いながら、アイデンティティ・アート・政治の関係について発表した。両氏の発表後はアートの効力やその独立性についての質問が上がり、音楽や映像などのアートの様々な分野も考慮に入れながら、なぜ今アートかという問題が議論された。
午前の後半は、Cheng Xing氏(PKU)の発表で始まった。中国近代文学を研究する氏は、金庸の武俠小説を文学史の中で如何に位置づけるかという問題を提起した。中でも小説の主軸となる「俠客」を、儒学者であり官僚でもあった前近代中国の「士大夫」のアイデンティティと結びつけながら論じた点に特徴があった。続くTerhi Nurmikko-Fuller氏(ANU)の発表では情報社会やデータエコノミー下におけるプライバシーについて論じられた。氏の主張はビッグデータとその解析によってプライバシーが侵害されてしまうことに直接抵抗するのではなく、情報自体の多様性を拡大し、人々を安易にカテゴライズすることや歴史的なバイアスに左右されない仕方でデータサイエンスに向かっていくべきというものであった。
午後からは各校の大学院生による発表であった。翌日10日の午前のセッションも含めて、計11名の発表が行われた。
9日の前半はKatie Cox 氏(ANU)、Lin Juntao氏 (PKU)、そして建部良平氏(UTokyo)のセッションであった。Cox 氏は映画「アイアン・マン」の分析を通して、identity politicsと国家安全保障の問題について論じ、Lin氏は近年中国の経済発展特区として注目されている深圳が持つイメージについて、そして建部氏は丸山真男と竹内好という戦後日本の思想家の「近代」に対する向き合い方の相違について論じた。後半はQi Yue氏 (PKU)、James Mortensen氏(ANU)、Huang Wan-Chun氏 (NYU)のセッションである。Qi氏は東アジアを主たる考察対象としながら、「境界border」が持つ様々な意味を分析した。Mortensen氏は政治における「security」の概念について、ホッブスの議論を参照しながら論じた。Huang氏は中国の文学者である蘇童の『河岸』に現れている「中国人」としてのアイデンティティについて分析した。
報告者:建部良平(EAA RA)