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2019.07.17

2019 Sセメスター 第12回学術フロンティア講義

2019年7月5日、学術フロンティア講義の第十二回講義が行われた。登壇者は哲哉氏(東京大学大学院・総合文化研究科教授)であった。「主権とユートピア:沖縄をめぐって」と題し、現在沖縄を巡って展開されている様々な議論を紹介した上で、橋氏自身の意見も提示される講義となった。

⾼橋氏はまず、本年(2019年)が、いわゆる「琉球処分」の140周年であることに言及した。周知の通り、明治政府が成立し日本の国民国家化が進められていく中で、琉球王国は沖縄県として国民国家システムの中に取り込まれていった。⾼橋氏は、琉球側の資料を使って「琉球処分」の実態を研究している、波平恒男『近代東アジア史のなかの琉球併合:中華世界秩序から植民地帝国日本へ』(2014年、岩波書店)を挙げながら、現在明治政府による「琉球処分」(「琉球併合」)について、沖縄で盛んに議論されている旨を紹介した。また、⾼橋氏は八重洋一郎の詩集『日毒』(コールサック社、2017年)を紹介した。「日毒」という呼称からは、日本に対する怒りを読み取ることが出来る。

以上のような議論が活発化していることの背景には、当然ながら沖縄における米軍基地問題がある。のみならず、現在先島諸島を中心とした沖縄の群島に次々と自衛隊基地が建設されている。基地ができることによって関係者の流入による人口増加が起こり、社会構造自体が大きく変化する。自衛隊基地の拡大は、「日毒の再来」というイメージを喚起する側面を持っており、沖縄が大きく揺れている。そこから出てくるのが沖縄の独立論である。日米の軍事植民地とも言えるような状態から脱するべく、自己決定権を取り戻そうとする動きだ。しかしこの琉球独立論に対しては、内部においても批判がある。日本から離脱することは検討すべき課題ではあるが、しかし、離脱後に主権国家として明確な境界を有して存在することは、結局は既存の国民国家システムの枠組みに留まってしまう。日本から離脱しつつ、国家システムをも乗り換えるものを作れないか。そこで提唱されているのが、琉球共和社会である。

琉球共和社会については、川満信一編『琉球共和社会憲法の潜勢力』(未来社、2014年)で詳しく論じられているが、本講義で注目されたのは川満信一が1981年に「新沖縄文学」で発表した、「琉球共和社会憲法C私(試)案」である。本憲法案は、国家廃絶の宣言や、法律・権力機構の廃止などを盛り込み、国家のための憲法ではなく、社会のための憲法として構成されている。そして国家でない以上、出入国管理という主権行為を放棄しており、難民・亡命者を無条件に受け入れる。また憲法案に同意する限り、如何なる人間、如何なる国家に属するものであれ、共和社会の成員であることが認められる。完全に開かれた社会、それを川満は構想しているのである。

このような議論が沖縄で出ていることを受け止めた上で、⾼橋氏は琉球共和社会の構築には困難と限界が伴うと考えている。琉球共和社会は、主権国家でないが故に他国家との交渉力を有していない。例えば、イラン人難民シェイダ氏の事例を考えてみよう。シェイダ氏は7年間日本で難民申請をしたが、その際琉球共和社会に彼は逃げ込めただろうか。⾼橋氏は仮に逃げ込んだとしても、国家としての交渉力を有していないが故に、イランの国家権力からの追求からシェイダ氏を守りきることは出来なかっただろうと考える。シェイダ氏は最終的にヨーロッパの第三国によって受け入れられたが、これはその第三国が主権国家であったが故に、難民として彼を庇護することが可能となったのである。また川満の憲法案では、琉球共和社会は無条件に人々を受け入れると書かれていたが、第十一条で「この憲法の基本理念に賛同し」と書かれ、第十七条で「各国の政治、思想および文化領域にかかわる人が亡命の受け入れを要請したとき」、「軍事に関係した人間は除外する」と書かれているように、完全なる無条件の歓待ではないのが実情である。もちろん、他者に対して開かれる国家や社会を追求することは重要であるが、如何にして開くか、そしてどのような境界を設定するのか、その点を深く考えない限りは上手くいかないと⾼橋氏は考える。

講義後多くの学生による質問やコメントが語られた。その際中心的に議論されたのは、沖縄に対する構造的な差別の問題であった。⾼橋氏はもちろん、在席していた多くの学生、そして日本の国民は沖縄に対して特別な差別意識を持っているわけではない。その中でなぜ日本から離脱しようとする動きが出てくるのか。⾼橋氏は沖縄に対する構造的な差別が大きな要因となっていると述べた。例えば基地問題。これは日本とアメリカの両大国の中で沖縄の運命が決定される問題となっており、構造的に沖縄の声が届かない状況の中で基地が押し付けられている。一人一人は差別していなくても、多数が作り出している政府の下で沖縄の人が差別されている。ここから生まれるのは正しい意味での被害者意識であり、日本からの離脱は決して敵対心から言っているのではなく、構造的差別の中で運命の自己決定権を回復しようとする動きの中から出ている。

地理的な位置関係を見た際、琉球・沖縄はある意味で東アジアの中心に位置している。歴史的にも日本、中国、東南アジアなど様々な地域と交流を展開していた。そこで現在どのような議論が展開されているのか。⾼橋氏の講義を通して、東アジアにおける琉球・沖縄の重要性が改めて確認された。

報告者:建部良平(EAAリサーチ・アシスタント)
写真撮影:立石はな(EAA特任研究員)

学生からのコメントペーパー

詩集『日毒』を読み、あまりに自分の想像の範疇を超えた歴史的事実に寒気を覚えた。この授業を聞くまで、僕は当時の生の資料を見る機会を持たなかったし、自分で見ようとも思わなかった。東アジアに住む日本人として、これはあってはならないことであると悟ったが、僕と同様に感じた人、つまり今回の授業で触れられた内容が、悲しいことにどこか遠いと感じた人が、他にもいる筈だ。今回この場で講義を聞くことが出来なかった人、また今どこかで普通の生活を送っている人の中に、過去何があったのか目を向けられていない人がまちがいなくいると思う。これは改善すべき問題であろう。日本史教育のあり方が今問われる。(文Ⅱ・1年)

「日本国」の平和や安定が、このような一部のマイノリティーの犠牲によって保持されていることは、今回の講演者である高橋教授の著書にも記されている内容である。これを踏まえると、授業中で紹介された「反復帰」論も理解できる。つまり、上で示されたような「構造的差別」は主権国家という概念を起点とするものだと捉えることが可能で、主権を持った「国家」によって、「日本」の安定のためというロジックに基づいたマイノリティに対する榨取が正当化されるのである。(中略)その一方で、本土のどの部分に基地を移設しても、新たな(福島のような)犠牲となるマイノリティが生まれるのではないかという疑問、そもそも正しい「抑止」とは何たるかということ、など晴れない疑問も多かった。無意識のうちに構造的差別の榨取側に層に属しているのかもしれないという認識を今回知見として得ることが出来たので、沖縄に対する注意は今後も向けていこうと決めた。(文Ⅲ・2年)

これまでの12回の中で一番面白い講義だった。自分としても主権国家でないシステムなど到底思いつきはしなかったので、とても新しい知見を得られたと思う。だが、授業の中でも議論された通りそのラディカルさゆえに非常に多くの疑問点があるのもまた確かである。(文Ⅰ・1年)

「日毒」という言葉を初めて聞いたときにそのインパクトに驚かされた。戦争を経験したことがなく、またむしろ日本は戦争で甚大な被害を被ったという論調で報道するメディアのせいで、自分が残虐行為を行った日本の中の一人であるということを忘れかけていた。なんとなく他人事のように思っていた日本の残虐性や、更に、日本が琉球、アイヌを含みこんでいるという意味において完全単一民族国家でないことを、この短くも内容が詰まった詩集は自分に思い出させてくれた。逆にこの事実を理解せずに、沖縄の基地問題や辺野古の問題を日本の側から無条件に共感することは少し怖いと思った。(文Ⅰ・1年)

日本史、世界史をともに学んできましたが、日本が明治維新の時に「琉球併合」したときに琉球王国、琉球人の側からどう見たのか、ということは考えませんでした。日本国は米英を始めとする欧米諸国の「侵略」を防ぐために併合した。そのとき、そこにあった国は軍事力をもってでも併合すべきであったという認識でしたが、逆に見たらそれこそ日本側の身勝手な「侵略」であったという点には驚いた。また、普段の生活では意識的には気付かない、沖縄に対して抱く「どこか違う地域」という意識を気付くことができた。町中には「沖縄料理店」や「沖縄の特産品店」といった店が目に入る。これは他の都道府県にはないもので、人々が沖縄という地方を一つの特異性をもった地域だと捉えていることに気付いた。(文Ⅰ・1年)