2019年6月25日、リサーチ・ワークショップ「哲学者とはどのような人々か?−概念的・歴史的・社会的考察」が開かれた。
本ワークショップではジャスティン・スミスが2016年に刊行した、The Philosopher: A History in Six Types (Princeton University Press)を切り口に、「哲学」に関する問いを、「哲学者」に関する問いへと読み替え、「哲学者」とはどのような人たちなのかが検討された。スミスは本書にて、歴史上の哲学者は六つのタイプに分類することが可能だと主張する。ワークショップの企画者である若澤佑典氏(ヨーク大学)はスミスの試みを肯定的に捉えた上で、参加者と共に具体的な哲学者を列挙し、スミスによる分類の妥当性の検証を提案した。本ワークショップの参加者は学部学生、大学院生、若手研究者という年齢的に若い層で構成されており、専門分野も非常に多岐にわたっていた。とりわけ、中国や日本などの東アジアを研究対象としている者が多く、具体的な哲学者、或いは哲学者の候補として孔子や朱熹、戴震、和辻哲郎などが挙げられた。しかしながら、いずれの人物もスミスによる分類と完全に合致させることはできず、複数のタイプを組み合わせてみても説明の出来ないことが多くあることが確認できた。これによってスミスの試みが否定されることはないが、彼の問いを受けた上でより綿密な分析や議論が必要となる。
スミスが提示した六つの類型を検討する一方、本ワークショップでは「哲学者」、つまり「哲学をする人々」への問いに含有される、「哲学する」という動詞的な概念も議論された。「哲学とは何か」と問われた場合、そこで哲学は固定的な定義の成立し得る学問として考えられる。しかし、哲学は常にその内実を変容させており、「哲学とは何か」という問いが度々問題になってきたことも、哲学自身が常に変化していることに起因していると考えらえる。一方、「哲学する」という動詞的な概念を考えた場合、固定的な枠に納められようとする哲学が、一挙に開かれたものとなる。参加者には東アジアを専門とする者が多かったことから、東アジアには哲学はあるのかという論争的な問題への言及があったが、これも哲学を一つの固定的なものと捉えず、「哲学する」という形で動詞的に理解することで、この問い自体を乗り越えられるのではないか。
哲学は今後どのような形で世界や人々に関与していくのか。少なくともそれは一つの地域や言語に束縛されたものではないだろう。本ワークショップでは、ジャスティン・スミスが提起した問いの読解を一つの手段としながら、東アジアとヨーロッパ、それぞれを研究対象とする者が一堂に会して議論が行われた。このような対話の場が設けられることは、哲学の未来をより豊かなものにするだろう。(報告者:建部良平)