2019年6月28日、学術フロンティア講義「30年後の世界へ――リベラル・アーツとしての東アジア学を構想する」第11回講義が行われた。講壇に立ったのは中国文学を専門とする鈴木将久氏(東京大学大学院人文社会系研究科)であり、テーマは「中国の農村をいかに表象するか」であった。どのように表象するかとは、すなわち、どのように認識するかという問題である。「声なき声」としての農村を、魯迅をはじめとする近代中国文学はどのように表象しようとしたのか、その実践および問題を三つの事例によって解説し、中国文学というジャンルを超えた一つの普遍的な問いに挑戦した。
鈴木氏はまず、近代中国文学の巨匠魯迅の代表的な小説「故郷」を取り上げた。日本でもよく知られている当作品は、ある程度魯迅の実体験に基づいているとされているが、魯迅は主人公の「私」に仮託して何を語ろうとしたのだろうか。鈴木氏は、「故郷」の主人公「私」の少年時代の友人である「閏土」が、主人公の家の皿を灰に隠して盗み出そうとしたと「楊おばさん」に告げ口される一節を分析する。興味深いことに、現代中国では、貧しい農民である「閏土」が盗みごとをするわけないというイデオロギー的な理由から、この節は問題視されており、実際に盗んだのは「楊おばさん」だと解釈されている。それに対し、鈴木氏は、ここで問題となっているのはむしろ真実が分からないこと自体であると述べる。農民である「閏土」が何をするのか、語り手である「私」には分からない。ここに現れているのは「私」と農民「閏土」の間に存在する隔たりであり、鈴木氏は続いて魯迅のもう一つの代表作「祝福」をあげた。農村の不幸な女性「祥林嫂」の問いを前に、「私」は彼女の望み通りに答えようとするも、驚愕し、しどろもどろとなった。スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』によれば、言葉を発し得る人間がそうでない弱者の「代弁」をすることは、実質的には後者の言葉を剥奪してしまう暴力である。鈴木氏は、「祝福」の「私」のしどろもどろさを、中国のサバルタンを前にした時の「私」の恐怖感を描いたものだと読んでいる。表象の暴力を前に、我々はどう表象すればよいのか?これは魯迅が「声なき声」である中国の農村について提起した問いだと考えられるのであり、その答えを、鈴木氏は魯迅の「希望の哲学」に見出していく。中国の啓蒙運動とされる五四運動期に活躍した魯迅の啓蒙思想は「鉄の部屋の喩え」によってよく知られているが、この喩えからは俗的な啓蒙とは「違う匂いがする」と指摘する。「絶望は虚妄だ、希望がそうであるように」の詩や、竹内好の魯迅論によりながら、表象できないことに打ち震え絶望した後に、絶望した自分を手放さず、できるという幻想を拒否しながらも表象することに、魯迅は希望を見出し、それが魯迅的な「啓蒙」だと解釈した。
次に紹介されたのは、魯迅とは全く異なる事例、共産主義革命における文学の実践である。日本人の想像を超えた歴史的実践の中、毛沢東の文芸論のもとで創作された柳青の『創業史』を取り上げた。1959年に完成された『創業史』は、土地改革の中で、土地の集団化をどのように農民に受け入れさせるのかを題材にした作品であり、柳青はそこで農民を表象するための二つの方法を実践している。一つは「生活に入ること」、人物の真実の感覚を描けるようになることである。もう一つは作者自身が農民になることから始まり、農民たちと交流することによって自分を変えていくという、共産党のいわゆる「自己改造」に相応する。『創業史』は、「社会主義新人」に変化させられていく農民の姿を、それなりの説得力をもって描き出したとされ、高い評価を得るのに成功した。しかし、鈴木氏は、当作品に表象された農民は果たして本物であるのかは当然ながら疑問であり、また、『創業史』の最大の功績は集団化を受け入れなかった「悪役」にあるとする別の評価からも、柳青の実践の怪しさ、そして共産主義の文学論の難しさが示されていると指摘した。
毛沢東の時代では、農民はたとえフィクションであっても文学の主人公だった。それに対し、改革開放後、経済発展を第一優先とする国づくりの中、中国の農村はどう認識されたのだろうか。鈴木氏があげた第三の事例は、現代中国の作家梁鴻の『中国在梁荘』(邦訳『中国はここにある』、みすず書房)である。「啓蒙者の視点ではない」という梁鴻の言明は、ポスト毛沢東の時代に、魯迅的な問いが再び蘇っていることを意味する。啓蒙の先にあるのは希望とは限らないが、啓蒙は中国の農村でなされねばならない。魯迅の課題に直面にした梁鴻の探索は、『人民文学』が新たに開設したコラム「ノンフィクション」のもとで行われた。『人民文学』によれば、「ノンフィクション」とは伝統的な文学ジャンルの外に可能性を感じたゆえに発した、新しい文学エクリチュールの試みである。それは農村が従来の文学パターンでは表象できないものであることを逆に示していると言え、そこで梁鴻は、最終的に「人物自身の語り」を叙述の方法とすることにした。『中国在梁荘』は、初版で好評を得た。ところが、梁鴻は再版に長いあとがきを加えており、その中で自分の調査の可能性と有効性に不安を感じていることを自白する。村の人々といつも一緒にいながら、村人たちの言説のシステムに入っていけそうにない。彼女は農民たちの「言葉の豊かさ」に揺さぶられたと述べるが、それは、農村出身であるものの都会の大学の先生となった梁鴻と農民たちとの距離を映し出していると、鈴木氏は指摘する。知識人が農民となって語るという柳青の問題が、再び浮上するのである。声なきサバルタンの代弁のつもりでいる言葉は、果たして本物なのだろうか。鈴木氏によれば、この問いは常に残るのであった。
講義の最後、鈴木氏は自身の研究を通じて得た中国の面白さを語った。魯迅の姿勢は抽象的なレベルにおいて示唆的であり、日本とだいぶ異なる中国の歴史をどう捉えるかは、日本人にとって挑戦的である。自分たちが当たり前だと思う経験と異なるものは、自我への問いにつながる。中国の農村問題は日本とは異なるが、「声なき声」を表象することは、日本における沖縄の問題、世代と大学の問題など様々な場合において存在している。「声なき声」とどう向き合うべきか、わかったふりをすることができるのだろうか。中国の問題のみとするのではなく、自分たちの問題を考えるきっかけにして欲しいと説き、議論を締めくくった。
学生からは、魯迅の『阿Q正伝』において描かれた農民の姿や、現代のSNSが新しい文学ジャンルを生み出す可能性についての質問があがり、鈴木氏はそれぞれに対して自身の見解を述べて答えていった。質疑応答の後、石井剛氏は、前回の阿古智子氏の話と同じように、鈴木氏の講義は報道やデータに現れないが中国を理解するに不可欠な「声なき声」「見えないもの」を伝えてくれたと評した。「声なき声」を拾うのは文学しかない、ただ、それは読者があってこそ成立する。魯迅や梁鴻の問題は私たちの問題であると説き、講義の幕を閉じた。
報告者:張 瀛子(EAAリサーチ・アシスタント)
学生からのコメントペーパー
スピヴァクの話を聞いた時、「要約することのおそろしさ」を説いた話を思い出した。「君の言いたいことは、こうこうこうで、こういうことだろ?」という要約、そしてその要約を基に相手に反論することの恐ろしさは、他人の声を代弁することの難しさに対応すると思う。(中略)誰かの声を受け止めるだけの身構えのできている人はどれ程いるのか。大きい声をあげられる人の声のみを聞こうとし、自分の声すら聞けない人がどれ程多いのか。各自が見つめ直すべき問題だと考える。(文Ⅰ・1年) 小説を読む際に時折感じる本質的なグロテスクさ、つまり弱者の「声なき声」のみならず、それ自体をそのまま表現できない事象、出来事を言語化するという不可能性とどようように向き合っていくか考える講義だった。不可能なものを表象するという形式によってこそ成り立つ文学のおもしろさに気づいた。(文Ⅰ・2年) 一つの学問にしろ、世界全体にしろ、「声なき声」は至る所に隠れているのかもしれない。私たちがこの「声なき声」を知るためには、「声なき声」を知り(聞き?)、心を震わせ、思索を巡らせることだと思う。その一つの帰結点、一つの表現の形が「文学」なのであろう。私も私なりの一つの帰結方法を見つけていきたいと思う。(文Ⅰ・1年) 弱者の声を強者の視点から代弁してしまうことは弱者の世界に横わたる本質的な問題から話題をズラしてしまうことになるというのは全世界で日常的に起きている問題なのではないかと考えます。(文Ⅰ・1年) |