2019年12月13日、東洋文化研究所1階ロビーにて、国際総合日本学ネットワーク(GIS)主催、東アジア藝文書院(EAA)共催で第63回GJSセミナーが開催された(関連ページ)。発表者はカイル・シャトルワース氏(日本女子大学講師)、発表題目は”Watsuji Tetsurō’s Confucian Bonds: From Totalitarianism to New Confucianism”(和辻哲郎の儒教的絆:全体主義から新儒家へ)であった。
シャトルワース氏は、はじめに和辻倫理学にしばしば向けられる批判、全体主義の問題について言及した。その批判は、主に彼の倫理学においては国家への服従が個人に求められるというものである。そして本発表において氏は、間柄の理論が展開される『倫理学』上巻(1939)ではなく、具体的事例の分析が見られる『倫理学』中巻(1942、改訂版1946)に注目する。その狙いは次の3点、すなわち1.和辻倫理学が全体主義と見られる原因の一つとして、当該倫理学における儒教的「五倫」の組み込みがあること、2.和辻は1946年に『倫理学』中巻の改訂において新儒家的枠組みの内に彼の倫理学を据え直すことで、この批判を乗り越えていること、3.全体主義であるという非難を乗り越えられたとしても、和辻の家族に関する儒教的立場は未だ保守主義として非難されうるものであるということを示すことにある。
これら3つの狙いをもつ本発表の中で、氏は第一に『倫理学』における「五倫」の記述について解説し、続いて第二に和辻を全体主義者として批判する欧米の研究者の議論を取り上げた。特に、これらの批判が、和辻倫理学の儒教的側面に起因するものであると氏は主張した。第三に、牟宗三・唐君毅・徐復觀・張君勱による『為中国文化敬告世界人士宣言』(1958)に代表される中国での新儒家の登場について氏は言及し、儒教批判に対抗して儒教と民主主義との両立を図る新儒家の試みと同様のものを、我々は和辻の『倫理学』中巻の改訂に見出すことができると述べた。最終的に、氏は新儒教に対する今日の批判を取り上げ、それが和辻の倫理学にも向けられ得るものであると論じた。
会場からは、今日における儒教的フレームワークの可能性や、上巻で展開される和辻倫理学の理論ではなくあえて中巻の議論を分析することの方法論的妥当性、和辻における「民族」の理解などについての質問・意見が出た。今回の参加者の多くは外国人研究者であり、現在上巻しか英訳されていない和辻の『倫理学』について見識を深めることができたという声も聞かれ、世界的な観点から見ても今後の和辻研究・日本研究にとって有意義なセミナーとなったと考えられる。
報告者:犬塚 悠(EAA特任研究員)