今年になって3回目の北京訪問は、秋雨のそぼ降る中でのことだった。それでも空港から会場の北京大学へ向かう車窓から見える街頭の槐は、その葉を黄色くかがやかせながらわたしを歓迎してくれている。今回の訪問先も北京大学。2004年以来、毎年北京大学にて開催されている北京論壇という大がかりな国際フォーラムへの出席が目的である。わたしが招かれたのは、元培学院が主催する同フォーラムの第13分科会「書院によるリベラルアーツ教育:世界の経験とアジアの経験Liberal Education through College: World’s Experience and Asian Experience」。元培学院は北京大学のリベラルアーツ学部としてその名を知られ、東大はソウル国立大学と共にキャンパスアジアを通じて学部生の交換を行っている。EAAの交流でも元培学院が北京大学側の窓口学部となっており、両者はともに「東アジア発のリベラルアーツ」を作っていくパートナーであると言ってよい。
「書院によるリベラルアーツ教育」とはわかりにくいテーマだ。香港の大学ではイギリスの大学に見られるカレッジの制度を移入して「書院」と呼ばれるので、語源はこの辺りにあるものと思われる。学生たちは学部に所属するほかに、寄宿舎機能と一体化したカレッジに所属し、寝食を共にしながら全人的教育を受ける。現代新儒学の拠点の一つと言うべき香港中文大学新亜書院などはその最も典型的な例だろう。中国では古くから民間に多くの書院があった。例えば、南宋時代に朱熹が再興したことで有名な白鹿洞書院や、湖南省の岳麓書院などがよく知られており、EAAが新しいリベラルアーツ研究教育のプラットフォームたるために「書院」を名乗るようになったのは、こうした中国古来の問学スタイルに範を取ったからでもある。
元培学院は近年、自らの学生宿舎機能を大幅に強化し、residential college(寄宿制書院)をベースにしたリベラルアーツ教育に注力している。寮には図書室、自習室、多目的室、音楽室、フィットネス室などが備わるほか、学生たちの自主活動は寮だけではなく、学院のビル(俄文楼)でも昼夜の別なく繰り広げられる。9月に行われた集中講義の際にも、夜間に教室で課外活動を行うグループに遭遇して、東大生を驚かせていた。俄文楼3階が元培学院の学生による学生のための専用カフェとなっていることは、今回の訪問でわたしも初めて知ることになる。
分科会会議は2019年11月2日と3日に行われ、各大学の経験を共有すると共に、今後、参加大学がリベラルアーツ・カレッジ・コンソーシアムの設立に向けて協力関係を構築するためのラウンドテーブル・ディスカッションが併せて行われた。
この会議に招かれたのは、EAAについて紹介することが目的だった。ヴァッサー・カレッジ(Vassar College)やドルー大学(Drew University)のようなリベラルアーツ・カレッジや、総合大学でありながらすぐれたリベラルアーツ教育として「コアカリキュラム」を運営するシカゴ大学など、アメリカのリベラルアーツの伝統を体現する大学が集まってきたほか、ソウル国立大学自由専攻学部、中山大学博雅学院、清華大学新雅書院といった21世紀に入って勃興著しい東アジアのリベラルアーツ学部が一堂に会する中で、誕生間もないわが東京大学東アジア藝文書院もまた、それらに列すべき存在であると期待されてのことである。
言うまでもなく、EAAは北京大学とのジョイントプログラムであることが最大の特色であり、2020年度に発足する学部後期課程プログラム「東アジア教養学」は、北京大学との交換留学を含みながら、英語、中国語、日本語のトライリンガル(TLP)モデルにより、「世界哲学」、「世界歴史」、「世界文学」、「社会・環境・健康」という四つのカテゴリーのもとで、「東アジア発のリベラルアーツとしての東アジア学」を創造することを目指している。プログラム生の募集を今冬に控えたこのタイミングでのこの会議参加は、いわば、リベラルアーツ教育の伝統と現在に対して、EAAが未来に向けてマニフェスト宣言を行う場であったということになる。
思いのほか、この宣言は反響を呼んだ。中山大学博雅学院を立ち上げ、その後、清華大学に移って新雅書院の設立に携わった甘陽(Gan Yang)氏が、EAAの、特にTLP教育モデルに強い疑義を投げかけたのだ。その要点は二つある。一つは、英語ですらも身につけることが難しいのにトライリンガルをどうやって実現するのか、理想論だけが先行していても浮ついた結果しかもたらさないだろうという批判。もう一つは、せっかく日本と中国の大学生がともに学びあう場を作ったのになぜ英語を媒介語にする必要があるのかという不満である。前者については、語学教育の理想と方法の両面から丁寧に論じる必要があるだろうが、現実に東大ではTLPを通じて、英語と中国語の両方を第二言語としてかなり高いレベルで操れる学生が育っていることは言うまでもない。EAAの「東アジア教養学」ではそれらの基礎の上に、それらの言語を使って何を学ぶかへと重点を移すのであり、それが可能であることは言を俟たない。二つ目の問題については、日本と中国の現状のちがいが現れておりやや複雑だ。だが、日本語と中国語だけで不十分であるのは、英語を介さないことには、相互の位置関係を適切に測量することができないからである。トライリンガルとはいわば「出会いの三点測量」なのだ。
1980年代以来、中国の人文学を牽引してきた甘陽氏がこうしてEAAの目指す教育に疑義を呈したこと自体が、わたしたちのプロジェクトのインパクトを物語っている。しかし、このプロジェクトはまだ始まってはいない。そして、今回の会議に象徴されたように、「東アジア発のリベラルアーツ」が今後北京大学をハブとして、その存在感を増していくことになる可能性はたしかにある。わたしたちのプロジェクトは、本当に緒に就いたばかりだ。「30年後の世界」へと豊かな想像力にあふれた人材を、この会議に集まった人々と共に送り出す。夢は大きく、そして明るい。
石井剛(EAA副院長)