鈴木将久(東京大学人文社会系研究科教授)と王欽(東京大学EAA特任講師)が主催する2019秋学期のEAA「中国近現代文学研究会」の第一回は、10月24日に東京大学本郷キャンパス・赤門総合研究棟で行われた。裴亮(武漢大学中文系准教授)、陳琦、田中雄大などの数名の東京大学の研究員と学生が参加した。
今回の研究会は程凱「社会史的視野においての中国近現代文学研究の狙い」、萨支山「社会史視野の“現代文学”研究のある問題点」、劉卓「近現代文学研究における“歴史化”」を手掛かりとして、最近中国近現代文学研究において注目を浴びている重要なアプローチ、つまり「社会史的視野・研究」というものについてディスカッションした。鈴木氏はまず「社会史的視野」の起因を紹介した。十年頃前に、中国社会科学院教授の賀照田をはじめとして、一連の若手研究者は、1980年代以降にはやっていた「啓蒙論」かつ「近代化論」という視野と区別される新しい方法で中国現代歴史を全体的に解釈し直し始めた。彼らの主旨は、1980年代に生み出された啓蒙論的・近代化論的なアプローチは、現代歴史のコンテクストに当てはまらない、ということである。これに関連して、彼らのもう一つの発想は、歴史を歴史学から解放し、いわゆる「心身構造」に及ぶようにさせることにある。「心身構造」は、ほかならぬ歴史現場においての人々の持つ心身状態のことを含意している。手掛かりとして彼らが選んだのは、強い影響力を持った『中国青年』という雑誌である。
続いて、王欽は「社会史的視野」のいくつかのポイントを列挙した。このアプローチは、一方では1980年代以降の「再解釈」思潮を批判的に反省・変革するために、他方では1950年代から60年代にかけての「政治的文学解釈」と呼ばれる読解に文学作品を還元しないために、取り上げられたものにほかならない。「社会史的視野」においては、1980年代以降に行われてきた中国近現代文学に関しての「再解釈」と「文学史の書き直し」は、政治化から隔たる文学的自律性を標榜しているが、実は槍玉に挙げられた「唯物論的・政治化的解釈」と同じように、現代中国歴史における「政治」、特に中国共産党政治を簡単化している。「歴史現場に帰れ」という「社会史的視野」のスローガンは、その意味で、「新中国」が確立されたことに次いで実施された一連の社会主義的な政治―経済変革においての政治と文学の相互的関連に研究の重点を置いている。そのような関連のなかで、政治は文芸実践の様式と条件を規定している一方で、文学は総体的社会変革の分離されえない内在的一環として、社会主義的改造の可能性の条件とその危機を表象しつつある。その意味で、社会史的視野が提起しているのは、実は政治と文学をより広い社会的総体性のもとで再構築することだ、と王は言った。
鈴木はそれが「社会史的視野」の提唱者たちが孫歌教授の紹介した竹内好に詳しい理由だ、と指摘した。竹内好は『魯迅』において、政治と文学の厄介な関係に触れた。彼によると、文学の自律性は文学自身によって確立されうるものではなく、文学が政治によって抑制されつつあることを自覚した上でしか取得しようもないものであり、政治と緊張しつつある関係の中でしか確立できないものである。竹内の文学論にしたがって、しかも竹内の文学論に応える形で、「社会史的視野」の提唱者は新しい角度から文学と政治の関係を把握しようとするのではないか、と鈴木は述べた。裴は、「社会史的視野」の基礎としての史料さがしについて疑問を呈した。違う世代は別々の歴史経験と感覚を持っているので、同じ史料を読んでも、世代によって違う読み方を駆使し、違う結論を出すことがしょっちゅうある。われわれは自分の世代的局限を意識しながら、史料を探して、史料を問題化して、具体的な問題点に史料をもって切り込むしかない、と彼は言った。「歴史現場に帰れ」というスローガンは中国近現代文学研究において主導的なものになっている現在、いかにして「社会学的方法」で歴史を「問題化」して、社会史と政治史と文学史との相互関係をつけるかということは、「社会史的視野」においての難問である。続いて、裴は二つの質問を出した。第一、これらの研究者はテクストから「感性的経験」を取り出す場合、彼らの選んだテクストはもしいままでの文学史に重視されていないものであったら、これらのテクストは、政治的にしろ文学的にしろ、はたしてそれほど多くの豊富性を持つことに耐えられるか。第二、もし文学的テクストは同時代の事件とある「遅れ」または「時差」があるとしたら、もし文学に社会的時間が圧縮されているとしたら、いかに文学を通じて同時代の政治を把握すべきか。
田中も「社会史的視野」に関する三つの論文について、三つの質問を出した。第一、具体的なテクストを選ぶ基準ははっきりしていないらしい。第二、頻りに使われている「具体」「還元」などの概念は何を意味しているのかをもっと説明しなければならない。そうしないと、「具体性」を浪漫化するおそれがあるからである。第三、「政治」という語彙を、フーコーのいう「権力」と似たように、いままでの特権化的位置からずらしているかのように見えながらも、なぜあくまで「政治」に固執しているのかは逆にわからないことになる。この上で、陳は「ビビットの経験」という言い方がアイマイであり、「社会史」という言葉もアイマイである、と指摘した。鈴木は、「社会史的視野」を運用している研究者たちは、おおよそ明確的な方法論意識を持っているわけではない、と言った。つまり、1950年代初期の中国社会と中国文学を分析するとき、彼らの方法はとっとも適合なのかもしれないが、1950年代初期の中国における百姓と政府のダイナミックな関係はあくまで独自的な現象であるから、1955年以降の中国文学にも1949年以前の中国文学にも当てはまらない可能性が高い、と鈴木は結論した。
次回の研究会は11月7日に行われる。次回は、「社会史」のアプローチで行われた柳青研究を対象としてディスカッションする予定である。
王欽(EAA特任講師)