7月8日(月)、東京大学東洋文化研究所にて国際ワークショップ「東京学派と近代教養の編成」が開催された。本ワークショップでは、石田正人(ハワイ大学)、町泉寿郎(二松學舍大学)、中島隆博(東京大学)の三氏が発表を行い、来日中のLi Chanyang氏(シンガポール・南洋理工大学)、張志強氏(中国社会科学院)によって、それぞれにコメントが寄せられた。
初めに、本ワークショップについて、中島隆博氏から趣旨説明がなされた。本ワークショップが掲げる「東京学派」とは、近代日本において東京大学を中心として形成された学術を指す発見的な概念である。よく知られる西田幾多郎を中心とする「京都学派」に比べ、その中心をなす人物をもたない「東京学派」の実態は複雑であり、その把握や批判的考察には困難が伴う。しかし、当時の東京大学でいかなる学知が形成されつつあったのかという問題は、近代日本の教養の編成に直接かかわる重要な問題を孕むものである。そこで、本ワークショップでは、近代日本において東京大学の内と外で展開した学問に着目し、その問題系と思想的・政治的・社会的影響を明らかにすることを通して、「東京学派」の実態および近代教養の動態的な在り様にアプローチすることを目指すものであることが確認された。
最初の発表者・石田正人氏は「伊波普猷について――何が〈沖縄学〉を生み出したのか」と題して、沖縄学の父として知られる伊波普猷を取り上げた。伊波は11歳の時はじめて標準語を学び、京都の第三高等学校で教育を受けた後、東京帝国大学で言語学を修め、沖縄出身の近代知識人として「文学士」となった最初の人物である。石田氏は、まず伊波の出自や教育環境について確認をした上で、東京帝大に提出した卒業論文における音韻論に着目し、その形成過程を検討した。よく知られるように、伊波はこの論文の中で、沖縄語と日本語は共通の祖語を有する姉妹語であり、琉球語にはより古い日本語の姿が残されていると主張した。その重要な根拠の一つとされたのが、日本語の子音における「P」→「F」→「H」の変化過程であり、伊波は古い子音がアイヌや八重山諸島や沖縄に保存されていると唱えたのである。石田氏は、この説が形成された知的基盤として、帝大における師・上田万年を経由しながらも、その師であるチェンバレンの仮説を引き継ぐものであることを確認し、さらにそのチェンバレンの説は当時のインド・ヨーロッパ語族の系統分析論を応用したものであったと指摘した。すなわち伊波の〈沖縄学〉は、自身のバックグラウンド、帝大における近代的言語学の訓練に加え、チェンバレンなどの〈日本学〉を生みだした地盤も共有していたことになる。最後に石田氏は、このような学術的な側面のみならず、伊波が人格的に優れた要素を持っていた点を同時代の様々な証言からあぶりだし、そうした伊波の人格が沖縄学の形成に果たした役割が大きかったことを強調した。
第二の発表者である町泉寿郎氏は、「方法論としての日本漢学」と題して発表された。町氏の提唱する「漢学」とは、それまで日本古典籍研究において脱落していた哲学思想文献、また和刻漢籍なども含む「漢文」(古典中国語)の研究を意味する。町氏はこのような立場から、「東京学派」における「漢学」の制度的位置づけの変遷を1920年代まで跡付けた。氏によれば、まず「東京学派」の源流である昌平坂学問所から「学制」制定に至る過程で「文」の断絶が生じた。その後、東京大学文学部の編成過程において、本科と別に「古典講習科」が置かれたが、本科生・古典講習科生・選科生の間には明確な待遇上の格差があったと指摘した。さらに氏は、東京大学文学部から帝国大学文科大学への改組後、制度史や学史(文学史・哲学史)が残り、漢作文などの技能教育は廃止されていった過程を明らかにした。最後に同氏は、日本漢学史と琉球の関係や東アジア各地の漢文教科書の問題にも触れ、中国・台湾・韓国・満洲、各地の教育の近代化における日本との関係について、今後総合的な把握が必要であると訴えた。
最後の発表者・中島隆博氏は、“Confucian Education in Modern Japan: Motoda Nagazane, Nakae Chōmin, and Mishima Chūshū”(「近代日本における儒学教育:元田永孚・中江兆民・三島中洲」)という題で発表を行った。その内容は主に、1890年に教育勅語が発布されるまで行われていた、明治時代の儒学教育についてであった。その主流は国家主義へと逸脱した儒学を提唱し、主流を代表する元田永孚は神道と儒学に基づく国家宗教の確立を目指した。元田は、教育の中心は人道に至るために「仁」「義」「忠」「孝」の意味を明らかにすることにあるという。儒学をめぐっての元田、伊藤博文、井上毅らによる議論は、日本における儒学教育の広がり、そして教育勅語に直接に関係したと考えられる。他方で、中江兆民に代表される他の儒学的動向は主流を批判し、民権運動を推進した。三島中洲は元田と中江との間に自己を位置づけた学者である。彼の独創的な点は「義利合一論」を唱え、儒学によって近代資本主義を容認したことにある。近代日本の特徴を国家主義・公民権運動・資本主義のアマルガムとするならば、近代儒学と儒学教育はその共通の基盤として考えられると中島氏は指摘した。
以上、三つの発表に対し、二名のディスカッサントのうち、まずはLi Chanyang氏から応答があった。石田氏の発表については、中国において、チベットから中国本土で中国語を学んだ後地元に戻る知識人と、沖縄出自の知識人としての伊波との間には類似性があることが述べられた。また、町氏に対しては、日本における「漢学」と儒教との関係、また「哲学」と「理学」「宋学」の関係についてなど言葉の定義に関する質問がなされた。さらに中島氏に対して、現代の儒教的教育との関係について質問された。これに対して、中島氏は儒教のうち、とりわけ陽明学が明治の近代を形成する上で重要な役割を果たしたことを述べた。
続いて、張志強氏は、まず石田氏に対し、沖縄文化と日本文化の関係性における神話の役割について質問をし、石田氏は、伊波自身にとって神話は前近代的なものであり、それと近代的政治体制としての日本国家とを結び付けることはなかったと応答した。さらに町氏の発表について、近代の中国学が、中国と日本を分離したことで見失ったことがあったのではないかと問うた。これに対し町氏は、国家主義的なものを補強するために儒教が利用され再編されていくプロセスは、水戸学にまで遡ると述べた。最後に中島氏の発表に対し、哲学を内在するものと考えるによって中国と日本の古典学の密接な関係性への確認に繋がるとし、それが東京学派を見直す意義でもある、と述べた。
以上、本ワークショップでは、「東京学派」の内/外を行き来する動態的な近代教養の在り方を検討したが、それは同時に、日本が国際的に開かれていった状況と密接にかかわる問題であり、日本だけにとどまらない問題系を孕むものであることが明らかになったといえよう。本ワークショップは、海外からの研究者との連携によって、この問題を国際的な文脈の中で、今一度検討するものであった点で有意義であり、今後よりこの方向性において追及されるべき問題であると感じた。
報告・宇野瑞木、犬塚悠(EAA特任研究員)