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2022.09.20

映画『籠城』をめぐって(4)於 東北大学

2022730日(土)に東北大学で行われた映画『籠城』上映会アフタートークの記録を公開いたします。

髙山:本日は土曜日のお休みの日にお越しくださりありがとうございます。東京大学東アジア藝文書院特任助教の髙山花子と申します。映画『籠城』のプロデューサーを務めております。ふだんは20世紀フランス思想だったり文学だったりを研究しております。どうぞよろしくお願いいたします。

一之瀬:一之瀬ちひろと申します。東京大学大学院表象文化論コースの博士課程に在籍しております。現在は映像作家のジョナス・メカスを専門としています。また、仕事として写真家をしています。『籠城』では撮影を担当させていただきました。よろしくお願いいたします。

高原:高原智史です。先ほどもお話申し上げましたけれども、東京大学大学院博士課程におりまして、駒場キャンパスで第一高等学校、一高生の思想について研究をしております。ご覧いただいた『籠城』では、原案、監督といっしょに共同脚本、声の出演も――この声が出ていたと思います――しております。どうぞよろしくお願いいたします。

小手川:小手川将です。今日はお越しくださりありがとうございます。ご覧いただいた『籠城』の監督を務めました。ふだんは東京大学大学院の表象文化論コースで映画の研究、とくにロシア映画の研究をしております。今日はどうぞよろしくお願いいたします。 

加藤:東北大学史料館で准教授をしております加藤諭と申します。文学研究科でも協力教員をしております。わたしの専門は歴史学とアーカイヴズで、今日はこちらにお招きいただきありがとうございます。よろしくお願いします。

佐々木:東北大学大学院文学研究科の研究助手で、博士課程後期に在籍しています佐々木隼相と申します。日本思想史研究室というところにおりまして、専門は18世紀から20世紀の博物学の歴史をテーマにしています。その関係で、大学の歴史にも関心を持っていますので、今日はそのあたりからもお話しできればなと思っております。よろしくお願いします。

茂木:それではコメントに移っていければと思います。よろしくお願いいたします。

加藤:本日、茂木先生の方からは、わたしが呼ばれたのは、この仙台の地には同じ旧制高校である仙台第二高等学校がございましたので――『籠城』で描かれていたのは旧制第一高等学校ですけれども――その比較の観点からもコメントをお願いしたいという話かと存じます。そこで、すこし同時代的な、他の旧制高校、二高の視点から一高についてコメントさせていただければなと。
だいたい1930年代くらいから1940年代にかけての映像が多かったのかなというふうに見ていたんですけれども、ちょうど向ヶ丘、向陵から駒場に、旧制一高のキャンパスが移転していく時期というのは、仙台の地にある仙台第二高等学校もまさに、キャンパスの移転ということがあった時期です。ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、2022年は、東北帝国大学法学部が設置されてからちょうど100年になるわけですけれども、この法文学部が設置されるにあたってキャンパス移転したのが旧制第二高等学校です。旧制第二高等学校は、法文学部、つまり現在の文学部がルーツとする東北帝国大学の新しい文系学部ができることによって、片平というキャンパスから北六番丁という、かつて雨宮と言われる東北大学の農学部があったキャンパスですけども、そこに移転をすることになります。移転に際して創設の地であった片平というところからキャンパスが移転するわけなので、当然、そこでもアイデンティティーが問われるわけですし、逆に言うと、新しい教官の方々はそこで新しい教育などが花開いていくという。そのどっちにしていくのか。つまり、新しいキャンパスになっていくことで新しい文化をつくるのか、あるいは、新しいキャンパスでも旧来の伝統を維持するのか、というところが実は少し先鋭化することが旧制二高の場合はございます。
さらに大学や旧制高等学校というのは、今日も出てきたように自治が複層的にあるわけですね。つまり、たとえば、大学や旧制高校の先生方というのは、当時、文部省に対しての大学自治であるとか、高等教育・中等教育の自治というのを掲げていますけれども、その範囲を教授にするのか、助教授まで認めるのか、助手・副手にも認めるのか、学生にも認めるのかというところで、大学自治の主語は複層的です。国に対する大学自治というのはあるんだけども、一方で、学生にどこまでその自治というものを認めるのかというと、かなり先生方によっても考え方が違っているわけですね。それが先鋭化するのが寮ですね。旧制二高の場合はこの時期、新しい教育のあり方の中で自治を少し制限していきながら、あるべき旧制高校の教育というものをつくっていこうとする動きが出てきます。岡野義三郎が校長の時期なのですが。それに学生が反発して、最終的には折衷案として、岡野が海外に遊学するというかたちで校長が代わる。それ以降というのは、旧制二高の出身者である校長が戦後までずっと歴代校長を務めていくということがございます。一高の籠城主義が駒場に移っていったときに、彼らの中で自治というものが、それまで向ヶ丘にあったときと、駒場になったときというので変化があったのか、あるいは、そこで新しい文化をつくろうと思うところの中でのフリクションがあったのかどうか。今回は伝統というもので繋いでいくところが強調されましたけれども、その中の変化の時期というのは何かあったのかどうかは関心を持ちながら観ていたところです。

茂木:ありがとうございます。それでは続けて佐々木さん、よろしくお願いします。 

佐々木:はい、よろしくお願いします。加藤先生に二高のお話をしていただきましたが、わたしからはもう少し、今回拝見した映画の内容を噛み砕いてみた観点からコメントをしたいと思っています。
映画に関して面白いと思ったのは、映画の主人公が25歳の大学院生で研究しているという設定です。研究していて駒場というところで論文を書くわけですけれど、そうした研究を通じた歴史へのかかわり方がまずはある。また先ほどの高原さんのお話を聞くと、要は論文を書くための一高生への接近ではない、自分の生き方としての問題の仕方としてもあるのだと理解できました。あるいは日隈さんのお言葉を借りれば「歴史実践」のひとつとしての関わり方と言えるかもしれません。
お訊きしたいことは「どうして主人公は旧制一高を研究課題として、自分の問題としているのか。歴史への関わり方としてどう考えればいいのか」ということです。また「主人公は旧制一高を自身の問題とするときに、実際にどういう論文を書くのだろうか」というのを観ていて思いました。
歴史研究の対象として旧制一高を選ぶということは、先ほどの加藤先生のお話の中で大学の自治をどう考えるのかと話題にされたことともかかわってきますし、せっかく今日は茂木先生もいらっしゃっていますので、たとえば「学校文化」の捉えにくさという観点からも考えられることだと思っています。歴史の中の一高を考える場合に、教員が学校文化、一高精神をつくるのか。校長という観点からすると、狩野亨吉時代の教養文化があって、そのあとに新渡戸稲造時代だったり、あるいは狩野時代に育った安倍能成の時代などが続く。要するに、校長の特徴から一高の精神を考えるという研究のスタイルが一方であるとすれば、茂木先生のように校友会雑誌など――茂木先生の場合は中学校ですけれども――学生・生徒の側から一高の精神を考えるというやり方もある。
今回、この『籠城』を拝見していて面白いなと思った理由は、この一高の生徒がつくっている……要は、維持しよう、つくり出そうとしている文化・伝統というものに、研究者を目指している主人公がつながっていこうとする歴史への関わり方、歴史実践というものが描かれていたと思ったからです。歴史実践というと、日隈さんが言及されたものではないところからわたしはこれを考えています。保刈実さんの『ラディカル・オーラル・ヒストリー』という有名な本がありますが、そこで保刈さんが歴史実践という言葉を使いながらもう一つ念頭に置かれているのは、「歴史をメンテナンスする」と言われるものです。これは保刈さんがオーストラリアに行って、アボリジニのグリンジ・カントリーで、その大地に住んでいる人たちと大地が持っている複数性のある開かれた可能性の束としての歴史に、住んでいる人たちがどう繋がっているのかということで、歴史実践あるいは歴史をメンテナンスするという歴史への関心の持ち方があるのだとわかります。
映画では、自治の精神への言及であったり、あるいは「正しく記録しなければならない」「正しく伝えなければならない」「彼らの言葉を理解しなければならない」というような言葉がずっとリフレーンされています。歴史の中の一高の自治の精神や学校文化というものに対して、今日の高原さんの話でいうと、立身出世したかったという自身を投影したい理想的な姿として一方ではありつつも、中野実が書いたように社会風刺の的としてもある。実際には、窓から立ち小便をしたり、規律がなければいけないと言いながら無断欠席を三回して落第しているような人間がいたりする。自分が一高という歴史につながっていこうとしたときに、彼らが見せたかった一高というのはもちろんあるし、そういうところに自分も理想的な姿を見出してつながりたいと思うわけですけども、アーカイヴで残されているものはそうしたきれいなものだけではない。当然ながらもっと生々しく多様な実態があるのだと思います。
質問に戻ります。今回映画を制作されながら、主人公というのはそうした一高の歴史の中から理想的な、自分がつながりたいような一高の物語というのを見つけていくわけで、それはうまく描かれているとは思いますが、そこに収まりきらない一高の歴史への関わり方ももちろんあると思います。そうしたことを制作されながらどうお考えになられたのかなということとあわせて、映画の主人公は研究という方法を通じて一高にどう迫ろうとしているのか、あるいは、それから何を書こうとしているのか、ということを伺いたいと思います。それはお行儀のいい査読論文や書籍を出版するといったような形になるのでしょうか。
日隈さんがおっしゃっていた話に重なるかもしれませんが、わたしはもともと箕作佳吉や菊池大麓といった洋学の家系の人たちに憧れを持っていたんですけど、途中で嫌になって研究対象が変わりました。というのは、自分の理想を投影として彼らの中に探してみましたがうまくいかないようなことがあったからです。こうした研究関心の持ち方、変化などを踏まえるなら、「歴史実践」という言葉はそれとしては新しく聞こえますが、しかし行儀の良い論文には出てくることはない研究者や院生の内側の関心や感情を正しく見てあげる、それらに付き合いながら対象にアプローチするというのが、歴史への関わり方としてわたしたちが実際に感じながら行っていることなのではないでしょうか。そうすると、今回映画を制作される中で、研究者を目指している大学院生の主人公がどういうふうに一高と関わるのか、実際に日常的な研究活動としては論文執筆や学会発表のほかに何をするのだろうか、というような発展的な解釈ができるのではないだろうかと、雑駁ですけれども、そのようなことを拝見しながら考えていた次第です。

茂木:はい。ありがとうございます。では、せっかくなので私からも良いでしょうか。今、ちょうどお二人から歴史的な文脈と同時代的な文脈と、それから歴史を叙述するという点からのご質問があったかと思うんですけれども、それに関連して映画のデザインというのか、そちらで気になってしまったところがあります。おそらくこれは歴史叙述の問題と繋がってくるような気がするんですが、この映画で面白いなと思ったことの一つとして、誰が何を言っているのかわからないというところがあります。ポリフォニックな映画と言ってもいいと思うんですけれど。同時にもう一つ、映される対象が徹底して男性しか登場しないということがあります。極めてホモソーシャルな映画だというところも考えあわせたときに、女性の声が目立つかたちで織り込まれていたことがどういうふうに狙われていたのかというところが個人的に気になっていました。
先ほどもおっしゃられていたように自身を「わたし」と語っている人が複数化しています。また「彼ら」という語が指しているそのものも絶えず揺れうごくものになっていると思います。とりわけ、映画の描く時代が戦中期に入ったときに「正しさ」というもの自体も揺らぎつつ、群から個に移ったときに、その辺の表現が不安定になってくる構成になっていて、戦前にはありえなかった女性の声が「彼ら」というふうに一高生を語ったり、逆に「わたしは一高生である」と語ったりと虚偽の語りが入りこんできている。それを歴史叙述として捉えるときには、どういう読み方と考えればいいのか。どういう評価の仕方が可能なのかなと思いました。少し長くなってしまいましたけれども、私からも一点お伺いしたかったことです。

小手川:どうもありがとうございます。今日は知らないことをたくさん教えていただいて、とても勉強になりました。ちゃんと全部のご質問にお答えできるかわからないんですけれども……まず、この『籠城』という映画が、キャンパス移転に際して伝統をどうやって引き継いでいくのか、刷新よりも継続の方に力点が置かれていたようだというご指摘がありましたが、その通りです。駒場移転の1935年から1944年、1945年あたりの資料を繙いて、わたしは、本郷キャンパス時代からあった一高精神、理想的な一高生として持つべきものを、新天地にどのように引き継いでいくかが最重要課題として問題視されていたというふうに読みました。そこに力点を置いて作品の中に表現したつもりです。たとえば、本郷が「向陵」で駒場が「新向陵」と呼ばれていた。「籠城主義」も本郷時代からあったものですが、駒場移転後には「新籠城主義」というふうに呼ばれるようになる。「新」と頭につけて過去と現在に線引きし、一高の伝統を新天地に引き継ぐ方法が熱烈に議論された。他方で、校地の移転によって変わった部分も当然ありました。しかし、それは一高生が自発的に変化を望んだというよりも、むしろ当時、一高の外の時局や社会の変化などによって変わっていかざるを得なかった――そういう側面が非常に強いのではないかというふうに思っています。主に戦争によるその外傷的な変化も作品の中に使わせてもらった一高の関連資料に反映されています。
また、映画の主人公がどう研究して、何を残すのか、何を書くのかというご質問があったと思います。このことについて制作中に何か明確に考えていたわけではなかったんですが……個人的には、この主人公は論文を書けない状態に陥っていて、何も書けないような研究の進め方をそれでも続けている、というタイプの人物だと思います。もしかしたら、論文を書かず、小説などを書くのかもしれませんし、あるいは映画をつくるのかもしれませんが、ともかく、あのままではあの男は論文を書けないだろうとは思います。しかし、映画にとって、主人公が何を書くかよりも、研究の対象に向かっていく内面的な状態が大事でした。
あとは、茂木先生から声の使い方についてご質問があったと思います。ご指摘のとおり、旧制一高は男子校で、男性しかいない空間で、そこで寮生活をしていて、もちろん寮日誌などの当時の記録をつけていたのも全員が男性なわけです。ところで、この映画をつくるときにいくつか大切にした要素があるのですが、その一つが言葉でした。長大な記録を隈なく読んだという自信はありませんが、非常に膨大な言葉が残されていて、いま読める状態に保管されている。それらの言葉を現在の視点からどのように読むのか、読むことができるのか、というのが今回の大きな課題でした。そして、いまはもちろん女性の一高研究者もいるわけです。また、書き記された言葉と声に発せられた言葉には、たとえ同じ言葉でも違いがあると思っていて、『籠城』では同じセリフが違う話者によってリフレーンされていくのですが、同じ言葉でも声の質によってニュアンスが変わってくる。「同じ言葉」というのも本作のキーワードです。というのも、一高の伝統はいくつかの言葉が一高生自身によって語り直され、検討され、記録されることで継承されるからです。彼らの言葉との関わり方に一高精神が息づいているわけです。その言葉の連鎖に複数のジェンダーを絡ませていった。翻って、言葉そのものにはジェンダーがあるのか……そうした疑問も考えさせられる制作だったと振り返って思います。

高原:続いては高原からお話しさせていただきたいと思います。まずはこのような映画をいくらかの関心をお持ちいただいて観ていただけたということに感謝申し上げます。昨日、せんだいメディアテークというところに行きましたけれども、その近くのカフェの店主さんに、われわれ一高というのをやってるんですけれども、こちらだと仙台で二高というのは知られていますでしょうか、と伺いましたところ、それはもちろん知られていますよと言われました。ああ、そうなんだなと思いました。僕のさっきの発表の方では、かつて一高生がつくったフィルムを各地の一高生のところで観させたという話でしたけれども……さきほど導入でも申し上げましたけれども、第二高等学校のある仙台というところで、同様に一高に関しての映画を観ていただくことが成り立つということが嬉しいなと思う次第です。
僕からの回答は、主に佐々木さんに対してということになるんでしょうが、まず申し上げたいのは、問題になっているのは、この映画の主人公がどうだという話になるんですけども、それにかんしては小手川監督がお答えしましたけれども、それに対してお前はどうなんだという話になると思うんです。それを延々と話してもしょうがないと思いながらも喋るんですけども、というのも、制作でちょっと面白いなと思うところがありまして。
最初に僕が書いた原案「独白録」というのがありますが、僕はあまり意識していませんでしたけど、小手川さんに読ませて言わせてみると、高原さんの文章は、俺はこうだと思っていると書いているんだけれど、一高はこうだというのと俺はこうだというのが混ざっているって言われたんですね。そういう意味で、劇中の主人公と僕というのは、混ぜて申し上げてもいいのかなとか思いながら申し上げるんですが、そのうえで、なんで一高にいくのかというのは……ここからは完全に僕の与太話になってしまうんですが、僕も権威主義というか、権威にすがって、それで自分を正当化したいというか、そういう話があったりだとか、何らかのものに一体化する、系統づけられたい、権威づけられたいという話があると思うんですが、先ほどの報告でも、官僚になりたかったというのは、国家や官というものに乗っかっていくことでキャリア的な、偉そうなというか、資格のある仕事をしたいという。
そこから外れた時にどうするかというときに、東大に目をつけて、東大で研究をして論文を書いたらいいんじゃないか、という話になってるんですけど、それも果たしてどうかということで、この先……博士三年で、あと三、四年で書ければいいなと自分自身については思ってるんですけれども、本当に書けるだろうか。小手川さんはすくなくとも劇中の人物は書けないだろうと言っているわけですけれども。そのあとで、何かしらの手段によって、今のところ考えているのは弁護士にでもなって、そうしたら法の力とか資格の力とか……プロフェッションというかキャリアを持って仕事がしたいという話があるんですけれども……という話になると延々と続いてしまうのでひとまず止めておきます。

一之瀬:はい、撮影した者の観点から応答させていただきたいと思います。本間さんの発表してくださったことを聞きながらも思ったんですが、本間さんのご発表がそうだったように、一次文献にあたって、それを咀嚼して意味を読み取って、論文のかたちにして世に出していく、ということを研究者はすると思います。今回の映画『籠城』でも、一次文献がたくさんうつされます。それは写真だったり手書きの寮日誌だったりですが、そういうものに研究者が出会う。映画に登場するそれらの資料はまだ意味を持っていないというか、なまの状態で、どういう意味として受け取られるかを待っている状態だと思うんです。研究者が研究対象と出会っているときというのは、まだ歴史化されていない対象との出会いの時間だなと。大きな歴史として確定されていない時間、研究者だけが経験できるような時間のようなものが、あるのではないかと思うんです。そうした時間を、今回、なんらかのかたちで示せたらといいなと思いながら撮影をしていたところもありました。
論文として整えられて世に出す前の、かたちの定まらない、まだ自分でもそれをどう扱えばよいのかわからないという、戸惑いを含めた対象との出会いの時間を、映像というかたちだったら、一つの結論を出さずに、示すことができるのではないかと考えました。わたしたちはひとりひとり研究者ではあるけれども、論文というかたちではなく映像というかたちで作品を残したという実践の動機づけだった、ということをいま思い出しながら、この映画の主人公はどんな論文を書くのかなというご質問に対して、結論が出ないながらも思いを巡らせていました。

髙山:茂木さんのご質問に答えるようなことを話せたらとぼんやり考えていたんですが、ちょうど去年8月か9月初めかに最初のシナリオが上がってきたんです。高原さんの「独白録」で、これはそのときはわたしも実は読んでいなかったんですが、どうもそれが書かれたらしい。それを受けて、小手川さんと高原さんが夏のあいだシナリオをつくっていた。シナリオに期限を設定するっていうスケジューリングがわたしの担当でしたから、締切日を設定して待っていて、そうしてそれが届きました。届いたシナリオは、今回の映画で使われたセリフとほとんど変わらず、使われなかった部分も多いんですが、最初の設定では男二人が――たぶん一高生らしい誰かの視点と、現在の院生の視点でしたっけ、わからないんだけど、とにかく男二人を設定していて、そのシナリオをもとに声の出演者を募集する。その募集もスケジュールが厳密に決まっていたんですが、率直にシナリオを読んで、わたしは、これどうしようかな、と思った。一人称としての「わたし」が出てくるんだけど、それがその「わたし」の言葉という感じがしなくて、どこか寮日誌なり何なりに書かれている誰かの言葉だったり集合的な言葉だったりというものにものすごく影響を受けている言葉だと感じたんです。
そのときは、ここにいる四人〔髙山、一之瀬、高原、小手川〕と記録の日隈くんくらいしか話し合う人がいなくて、カメラマンの一之瀬さんくらいしか決まっていなくて、声の出演者の募集をどうしようかということを話しているときに、その書かれている言葉を俯瞰して、すこし距離を置いて……つまり「わたしは一高生である」ということをわたしが一高生でなくても読めるわけじゃないですか。そういうことを、ある種、批判的な部分を込めて言うにはどうすればいいかというところで、男二人を決めるための募集ではなくて、性別も問わず国籍も問わず人数も決めないで、ちょっと広く声の募集をしてみようというプロセスがありました。それで、こういうふうにつくられたんですが、そういうことを思い出しながら、以前に上映した後に頂戴したある感想を反芻していました。ある方が、「正しく記録しなければならない」と一番リフレーンされているあのセリフ、非常に強迫観念的な要素が強い作品だとおっしゃってくださったんです。「正しく記録しなければならない」と切迫した感じで言っているということは、正しく記録できていないことの裏返しなんだと、そういうご指摘があって、そのことを今日聞いていて思い返しました。どこかで、正しく記録できていないというような役割を、宮城嶋さんの声であるとか新田さんの声であるとか、主人公や一高生に寄せたのとは違うところから、ぐさぐさ突き刺すとまではいかないけれど配置されていたところがあったのかなと、制作を俯瞰している立場からは思いました。 

茂木:ありがとうございます。それではもう少し時間があるので、加藤さんと佐々木さんからもう一言ずつお願いしても良いですか。

加藤:今のレスポンスに応えるようなかたちで、わたしは歴史研究者の立場から、できるだけ他の分野の方々とコミュニケーションが取れるようなかたちで喋ろうと思うんですけども。僕の一貫した印象というのは、すこし評者の方と違っていて、この映画は二重性があるというか、つまり、正しく記録を伝えなければならないと思っているのは、2020年現在の、制作者も含めて、あとは演者の方々も含めた思いと、1930年代半ばに移転をしていく当事者の一高生たち、その両方の二重性があるのかなと思って見ていた。旧制高校の伝統とか旧制高校のアイデンティティーは、その確立期まではつくっていく過程にあるわけなんですね。対して伝統や校風がつくられた後というのはそれを守っていったり、残していかなければいけないという作用が働くと思うんです。
これは定説があるわけはないですけれども、私の感覚としてはやはり1920年代にある程度、旧制高校の気風というのが完成されて、正しく記録されなければならないような背景があり、1930年代に彼らが思っていたことは、これを残していかないといけない、守っていかなければいけない。そこには、この伝統が壊れていく可能性があるという強迫観念とか一般観念とかがある。だから、自分たちは、実は旧制高校生ではあるんだけども、憧れた旧制高校生ではなくなってきているのかもしれないという同時代的な不安感がそこにはあるんじゃないかなと思う。だからこそ伝統を継がなければいけない、残さなければいけないということがあったんだと思います。もう一つは現代の東大や旧帝大のおかれている状況です。エリート主義な面が相対化されていく中で、いわゆる旧帝大と呼ばれるようなところに属していたり、駒場のような本当は旧制高校の伝統が色濃く残っているはず空間の中で、自分たちはそれでは、それとどういうふうに向き合っていって、過去からの伝統を残すべきなのか。大学の価値も揺らいでいる中、それをどういう風に考えていくべきなのか、記録を正しく伝えていくことについての二重性がある。旧制高校の価値というものを残していくための、その裏側にある思いというものがすごく読み手の中に迫ってくるものなんだろうな、ということを感じています。だから、たぶん、残さなければいけないということの背景には、当時の彼らそして現在のわたしたちが、そこに対してすごく揺らいでいることの裏返しなのだろうと思って、読み取っていた次第です。

佐々木:ありがとうございます。小手川監督からの、主人公はこのままでは論文は書けないだろうというのはよく分かる気がします(笑)。要は、論文を書くプロセスと研究対象への関係の仕方には違う部分があるのだと思います。たとえば映画の中では一高生の写真を机の前に貼りつけていったりしますが、こうした行為自体はまったく論文の中には入ってこない。あるいは、たとえば自分の研究対象が生まれた離島に行くということをしたりすることもありますが、そこに行ったからといってインスピレーションが降ってくるとかはありません。しかし歴史を研究する人間は、論文にならなくても、そういうような対象との関わり方は捨てきれないのではないでしょうか。むしろ、結果としては論文には現れてこないとしても、そうした部分に関心を持つということがあるのではないかと思います。そういう意味でいうと、今回、作品を拝見させていただいて、一高へのこうした関わり方は確かに自分の経験としてもあるのだと気づきました。お酒を飲みながら話しているうちはいいですけれど、学会発表でこうした話をしたら総スカンを食らうかもしれないようなことというのを、あえてしっかり作品としてまとめ上げられたのだと感じましたし、それに対して非常に感動したというか、示唆を受けたというような思いがあります。

茂木:ありがとうございます。佐々木さんの仰った「飲みながら」という点から考えると、まさしくコロナ禍の中で成り立った映画なのかなと腑に落ちるような気持ちがしました。最後、道ゆく人々がみんなマスクをつけているという2020年代の状態が写っているということも含めて、ふわっと話して研究の枠がつくられていくような、そういう研究の前段階のようなものが失われた状態そのものが、実はあの映画に入っていたのかなと、佐々木さんの言葉を聞いて思った次第です。
それではこれで、後半、映画『籠城』のアフタートークを終わりたいと思います。ご登壇の皆さんもありがとうございました、お疲れさまでした。